最近話題になっている、"氷河期世代は甘え!とか抜かす後出しジャンケン人間には、「あなたの会社では40半ば〜50過ぎの『生え抜きの』社員さんはどのくらいいますか?」..."のX(旧twitter)の投稿について。
あらためて思い返すと、今まではその当時の自分はどうだったか振り返る事はほぼ皆無で、20年以上ブログの記事を書き続けてきたものの自分の学生時代の就活に関して記事に挙げる事は一切無かった。
今や50歳を過ぎ、定年退職まで残り10年を切った。今回はこのXの投稿をきっかけに当時の自分の就活について可能な限り思い出してみた。
https://x.com/wildwilly888/status/2017464125673373909 氷河期世代は甘え!とか抜かす後出しジャンケン人間には...(投稿:わいるどうぃりぃさん)
昭和50年生まれの自分は就職氷河期世代に該当するが、同世代が当時の苦悩を語るSNSの投稿に対して甘えと捉えたことは一度もなかった。
勤務先では同世代の方々を多く見かける事や、就職活動に真正面からぶつかって取り組んでこなかった事などから、先日の上記のXの投稿に対して反論も肯定もしづらいのである。
自分は学生時代の就職活動を真面目に取り組んでいなかった。大学3年生になった段階でも、どういった職業に就きたいか明確にしていなかった。
卒業論文のテーマは植物生態学で、生物工学の分野とは異なりメシを食っていけるような分野ではないと理解していたし、工学や経済学系の学生と比べれば最初から劣勢であることが分かっていた。10年後や20年後に自分は何をしているかなんて分かるわけがないと考えていた。そのため、周囲がやっているから仕方なくという気持ちを抱えたまま就職活動に臨んでいた。
大学4年生になり博物館学芸員の認定のための授業や実習の単位を全て取れても、学部卒の学芸員職の募集はほぼ無かったので学芸員の職は諦めていた。
その頃にやっていたアルバイトは、4年生の前期までは都内のスーパーでの品出し、後期以降は現在も存在する某SIerの下請けの下請けの下請けの...という最下層の立ち位置でデスクトップPCの組み立て作業をやっていた。そのPCの組み立てのアルバイトがその後の人生を大きく左右することになるとは、始めた当時は微塵も思っていなかった。
就職活動では、建設業界を中心にエントリーシートを約20社に郵送したが返信はほぼ無く、自分の数倍以上は送っていた周囲の人達の苦戦続きの状況を聞いていくうちに、高3や大学入学直後の頃とは変わって社会面や経済面で世の中はかなり厳しい状況に変わってきた事を実感した。
そこで、就職活動に割く時間と精神的な消耗を抑えるため、早々に就活自体を撤退戦の気持ちで取り組んだ。
新卒の就活をやっているふりをしながら、日商簿記3級を独学で勉強し合格し、普通自動車免許を取得した。
日商簿記の試験会場には、自分と同じく学生と思われる若者が少なからずいたことを覚えている。彼らは就活で少しでも優位に立てるために受験したのだろう。当時は就職活動に励む同期を見ても後ろめたさや焦りはなく、そのうち何とかなるだろうという気持ちでいた。
大学4年の3月を過ぎ、自分は無職のまま大学を卒業した。
卒業記念として自分用にWindows95がインストールされた中古の重たいラップトップ(ノートPC)を購入し、Windowsの操作よりもPCの分解やWindowsのインストールで遊んでいた。
就職活動はPCの組み立てのバイトを続けながら再開した。
家の近所のコンビニに置かれていた求人雑誌に掲載されていた水道関連の施工業者に、経験者のみ募集という記載を無視して応募したが書類選考の段階で落とされた。
続いて、同じ求人雑誌の別のページに載っていた都内の空調設備の施工業者にも、経験者限定の募集という条件を無視して応募した。
面接ではひたすら頭を下げてお願いし、経理職として内定を頂き正社員として入社した。入社後は先輩社員とともに施工現場へ同行し、作業を手伝いながら業務用空調機の仕組みや施工について学んでいた。
しかし入社から3か月後、やはり工事の経験者の方がいいという理由で解雇された。
送別会の最中、年配の社員が人生論や処世術を熱く語り、役員の方は平謝りしていたことを覚えている。
空調設備の施工業者の退職後、PCの組み立てのバイトに復帰し2年ほどそこで働いた。
その中で正社員の身分で働きたい気持ちが強くなり、就職活動を再開。
ちょうどその頃に日商簿記2級に合格。日商簿記2級の資格を携えて就職活動を再開し約1か月後、埼玉県内の害虫駆除会社から内定を頂き正社員として入社した。
害虫駆除の会社には約2年間勤務した。
埼玉県内を中心に車で食品工場や倉庫など顧客を回り、害虫駆除の施工業務を担当した。仕事内容自体は悪くなく、1年ほど経つと一人で顧客を回れるようになった。
しかし、直属の上司からのパワハラや薬害で体を壊していく先輩社員の姿を目の当たりにし、退職を決意した。
害虫駆除の会社に勤務していた頃にLinuxというOSに出会った。Debian JP ProjectからDebian GNU/Linux 3.0のインストールCDを購入し、自宅のノートPCにLinuxをインストールし遊び始めた。
その頃からIT業界への就職を漠然と考えるようになり、退職後すぐに独学でLinuxの認定試験であるLPIC 101の勉強を始め、試験に合格した。
害虫駆除会社の退職を意識し始めた頃から、IT企業への転職について調査を進めていた。
その中でITのSES企業への就職斡旋を兼ねたITスクールの存在を知り、池袋にかつて存在していたDTSトレーニングセンター(株式会社DTSさんとは関係ないと思う)に入学。Linuxネットワークエンジニアコースで半年ほど勉強した。
通学しながらLPIC 102とCCNAを実機を使って学習した。その学校の学習環境は、Ciscoのルータやスイッチは実機でLinuxはVMWare環境だった。
入学時に学生証のようなカードを支給され、コース名に含まれるLinuxの綴りが「Linax」になっている事に気がつき少し萎えたことは今でもはっきり覚えている。
当時の授業の内容は家で独学でも出来るようなものばかりだったが、入学の主目的は就職説明会だったので、修了までに試験に合格出来るようひたすらコマンドを叩きまくった。
猛勉強のおかげで、コースの修了時に受験したLPIC 102とCCNAは無事に合格した。
修了間際に開催された就職説明会で港区内の某SES企業の話を聞き、後日軽い面接を経てその会社に就職した。
その後今勤めている会社に転職し、学生時代の友人だった妻と結婚し現在に至る。
就職氷河期だった頃は蝶や鳥のように暖かい場所に逃避し、気が付けば生き残っていた...という感覚に近い。リーマンショックやコロナ禍は無事に乗り越える事ができたものの、今後世の中がどう変わっていくのかわからない。何が起こっても上の世代の方々とは違ってエネルギッシュに動く事は一切無いと思うが、かつての就職氷河期の頃とは異なり業務経験だけは貯まっているので、それを武器に何とかするだろう。
上の画像は、学生時代に学芸員実習でお世話になった進化生物学研究所(現:食と農の博物館)。
当時はキツネザルやウコッケイの世話、蝶の標本の整理、温室内の雑草取りなどをやり、お土産にウコッケイの卵を頂いた記憶がある。
